ヴェルディが愛したヒロイン

ヴェルディが愛したヒロイン

講師 丸山 幸子

原作小説から見事蘇ったオペラのヒロイン 講演(要約)

オペラをあらゆる角度から検証すると、オペラそのものが深く理解でき楽しさは広がる。

2008年3月15日 京都ヴェルディ協会総会時の講演  場所:からすま京都ホテル

 

ヴェルディ作品の実質的なヒロイン

タイトル名のついたヒロインや、他タイトル名のない≪オベルト、サン・ボニファーチョ伯爵≫のレオノーラやマクベス夫人、アズチェーナなどの人物像から、その役の存在感や音楽への集中度、愛着度を分析する。真の主役、ヒロインはヴィオレッタで、他の作品からはこれ程の存在感を発見できない。

 

 

ヴィオレッタの実在のモデルだったマリと≪ラ・トラヴィアータ≫の原作『白い椿の花を持つ貴婦人』の作者デュマ・フィスについて

マリとデュマ・フィスの育った環境と出会った状況と実際の話。小説、戯曲やオペラで登場する浪費の額はどれ程か。収入支出に関連する事例の文や歌詞を引用し、当時のフランを今の日本円に換算したレート表からも物語を掴む。

ヒロインになる力と条件

当時の社会で高級娼婦への厳しい視線に屈しない物語のヒロインになる条件とは何か。

オペラの主だったクライマックスシーンは戯曲からどのように取り入れたか

オペラは小説より戯曲から多くのシーンを取り入れた。ヴェルディと台本作家の奮闘で芝居より更にドラマを要約し、迫力ある作品にした。特に2幕2場のヴィオレッタとジェルモンの2重唱は物語の軸で、ヴェルディとピアーヴェの技は見事である。ここからドラマが悲劇へと動く。

小説を書いたデュマ・フィスの本当の意図

社会の陰で虐げられている人々の“こだまとなる”というのが作家の信念であった。「世間でありふれた話なら、書くまでもないことだ」は、“こだま”を社会に訴えるためにフィクションを作り上げる作家魂と才能である。

グノー作曲『聖チェチーリア・ミサ曲』

グノーのミサ曲は、崇高な音楽で死者を包み悼むが、それ以上に身近な死者の生き方を容認し、どんな人にも生前、必ず華やかな時があった、その生前の楽しく生き生きした時を音にし、その華やかさへのオマージュであるように思える。実在のマリ、オペラのヴィオレッタが生前生き生きとした時はいつだったか。

最後に

オペラは言葉の芸術すなわち、台本、その元の戯曲や原案の文章からしか生まれない。言葉から成り立つ文の物語の背景に、人間のドラマと葛藤とその時代の社会がある。それらを知って楽しむことは、オペラを数倍楽しむことにもなる。