第3回オペラツアーの報告

ツアー報告


2007年はエットレ・バスティアニーニ没後40周年に当たり、マリーア・カラス、マリオ・デル・モナコの没後30、25周年と共に「3大名歌手を偲ぶシンポジウム」を開催した。また没後40年記念として、彼が亡くなったシルミオーネの家に記念の碑文のプレート(イタリア語でタルガ)を、彼の元婚約者だったマヌエーラさんと「エットレ・バスティアニーニ研究会」で共に設置し、これらはこのHP上でも報告させて頂いている。 もうひとつの没後40年記念行事として、バスティアニーニゆかりの地を訪ねゆかりの方々と親交を深め、イタリア、ミュンヘン、ウィーンでオペラ鑑賞する旅を催行した。彼の名を冠した研究会オペラツアー行事として3回目となる。回を重ねてきたのでイタリアのバスティアニーニゆかりの地では幾度も熱い手ごたえを実感できた。

10月20日(土)関空・成田から出発、フランクフルトで合流しミラノ・マルペンサ空港へ。夕刻6時頃着き、即専用バスでパルマへ。2時間弱でホテルへ到着。

10月21日(日)終日パルマ

青一色の空が遠くまで続く晴天の下、午前中パラッツォ・デッラ・ピロッタの木造の「ファルネーゼ劇場」見学へ。パルマ王立歌劇場劇場の起源となったオペラファン必見の名所で見ごたえがある。前回のツアーで見たヴィチェンツァの「テアトロ・オリンピコ」を思い出す。舞台上の縮小された古代建築と半円の客席上部に大理石のギリシャ風彫刻群が並んだ芸術的な美しさは忘れがたい記憶だったが、今回の劇場ではオペラを舞台で演じるための工夫、効果を創案した心意気が感じられた。このあと宮殿内美術館見学と王宮見学を行う。研究会では参考にパルマの歴史的建造物について、又それらの解説や年代記載ではローマ数字解読が不可欠であるため、解読案内の資料を配布した。

(写真 パルマ王立歌劇場前で)


オペラ≪ラ・トラヴィアタ≫



パルマ王立歌劇場。オペラ鑑賞の劇場は「ヴェルディフェスティヴァル」として、ヴェルディ4作品≪オベルト≫≪ルイーザ・ミラー≫≪ラ・トラヴィアタ≫≪オテッロ≫が組まれていた。今回のこの作品は何度も見ているが、この日は初めて見る演出と舞台装置だったので新鮮だった。舞台の傾斜を巧く活用し、演技は細部にまでこだわっていた。1幕、ヴィオレッタがすれた感じの高級娼婦という立場が明確に伝わる演出であったが、2幕では真実の愛に身を置き苦悩する、しかも社会的にはかよわい立場の女性という像が浮かびあがっていた。3幕、窓から人々がカーニヴァルを楽しむ姿が見えるかのような演出で、更にヴィオレッタのはかなさと憐憫さが表出されていた。

ヴィオレッタのスヴェトラ・ヴァシレヴァ、アルフレードのマッシモ・ジョルダーノ、ジェルモンのウラディミル・ストヤノフの声と歌唱の表現力には満足というより、了承できた。バスティアニーニが歌うジェルモンのようには誰もできない。ヴェルディの描くドラマを、朗々としかもメリハリのある美声で余韻を残して歌い、且つ役柄が持っている信念と役割に徹した表現の歌唱など、どの歌手にも期待できないことを知っているからだ。

マチネ公演だったので終了後、ガリバルディ広場に面したギャラリーの様なスペースで「若い音楽家のためのコンサート」が開かれていて、≪リゴレット≫4重唱を幸いなことに聴けた。大変得をした気分だった。ここで聴いた声は声量があり、のびのびと表現した歌だった。


10月22日(月)シエナへ

昼前にシエナのバスティアニーニが通っていた小学校(現、幼稚園)の横道からホテルに到着し、すぐ墓地に向かう。   花束には、第3回目のオペラツアーと献花の意味を込めたイタリア語文とレナートのカラー写真入りの用紙を差し込み、伝統行事パリオの地区名パンテーラの3色のシンボルカラーリボンで結んだ花束を捧げる。

パンテーラは彼の地区名である。墓前で、「今年追悼の会を開いたこと、研究会員の方と一緒であること、また今回来られなかったが、以前この墓前に立った方が多くいること」をイタリア語で声を出して伝えた。参加者はそれぞれの思いをバスティアニーニに伝えていた。


再び旧市街の城壁の門に戻り、バスティアニーニ通り、生家の前でタルガを見、家の中の間取り等を説明し、通りを歩きながら彼の竹馬の友の家やバスティアニーニも食事をしていた店などを教える。


昼食後カンポ広場に面した市庁舎(プッブリコ宮殿)の美術館で「グイドリッチョ・ダ・フォリアーの騎馬像」やシエナ派画家の「良き政府の寓意」の絵画などを見、マンジャの塔ではなく宮殿屋上からの景色を眺め、ドゥーモ見学の後、葬儀の教会傍にあるバスティアニーニが私財を投じて完成させたパンテーラ地区の本部(地区毎に持っている本部であり博物館)へ。

バスティアニーニが生前務めていたカピターノ(隊長・パリオでの地区最高役職)へパリオ優勝時に献呈された感謝文のプレートを掲げている部屋には、「ルーナ伯爵」と「エンリーコ」の絵が掛けられている。部屋の入り口にパリオ行事の兜にバスティアニーニの文字が刻まれた飾りを見てもらう。地区の住民が行事で着用する衣装、4日間だけパリオで出走するまで留め置く競争馬の厩舎を見る。地区集会時の談話室、会食用の大きな厨房なども見る。


約束通り旧知の仲のパンテーラの役員やプリオーレ(地区全般業務の最高役職)の方々5名が私達に会いに来て下さった。会談の後、“バスティアニーニ没後40年記念カレンダー”を参加者全員に頂き、記念撮影を行い来館記念帳に全員の名前を書いて退出した。

バスティアニーニの有力な支援者だったキジアーナ伯爵の名を残した音楽院の中庭を見て、煉瓦色の中世の面影を色濃く留める街並シエナを散策した。

(写真はパンテーラ地区本部・博物館内)


10月23日(水)フォルリへ。

途中フィレンツェに立ち寄り有名スポットをガイドの説明を受けながら徒歩散策し、昼食後フォルリへ。

バス車内で15世紀末のフォルリ伯爵夫人カテリーナ・スフォルツァの簡単な資料プリントに目を通してもらう。

ホテルに私達のバスが到着と同時にシルミオーネから運転されて来られたマヌエーラさんも到着された。彼女はバスティアニーニのお孫さんご一家との食事会のためにお越し下さった。
ご一家(祖父と同名の孫のエットレ氏、奥様と1歳9カ月のお嬢さん、エットレ氏の妹とお母様)との食事会は、貴重なバスティアニーニの映像とマヌエーラさんがお持ち下さった前述のタルガの「除幕式」の映像を見ながら行った。


私が参加者御一人ずつをエットレ氏に紹介し、写真撮影などを行った。終始可愛いお嬢さんに目を奪われながら和やかで盛り上がった会となった。




(写真、フォルリで親族交流食事会)


10月24日(木)シルミオーネへ

マヌエーラさんが早朝フォルリから車で移動し私達のバスより早くバスティアニーニの亡くなった家に到着され、私達を出迎えて下さった。建物正面入り口やや右の上部に設置した「タルガ」を見る。


研究会員の熱い思いの籠ったカンパがこのプレートに結実している。
感慨深く眺めた。ヴェローナで6月「バスティアニーニ没後40周年追悼会」を準備開催された音楽グループの二人が研究会のツアーが来るというので、私に会いに来られていた。既に研究会をHPで知っていて、ヴェローナでの追悼会関連資料、イタリア人の書いた新たなバスティアニーニの著書を献呈下さった。


マヌエーラさんの案内でバスティアニーニの亡くなった部屋の中に一緒に入る。
世界でも僅かな人しか見たことがない部屋の中である。居間に続き彼が亡くなったベッドが置かれていた部屋では、窓を開けるとそのベッドの頭の位置からガルダ湖が見える。
全員神妙に、そして悲しく感慨深く湖面に目をやった。私は以前個人的にマヌエーラさんに案内頂いていたが、今回日程等準備を重ね参加者の方々全員をご案内して頂けることが実現できた。


(バスティアニーニが亡くなった部屋の絵画や調度品は、全て当時の彼の所有品ではありません)

昼食後マヌエーラさんが参加者を、マリーア・カラスがメネギーニと暮らしていた別荘とその記念のタルガ、カラスの名を冠した小さな公園に案内して下さった。この後専用バスでヴェネツィアへ


10月25日(金)終日ヴェネツィア。

午前中はドゥカーレ宮殿内をガイドの説明で見学する。この宮殿を何度も見学しているが、巨大な富を築いた共和国の絵画や展示品、政治システムの知識を来るたびに新たにする。午後夜のオペラ鑑賞まで二組に分かれて楽しむ。サン・マルコ寺院、映画でも知られ、17世紀創業以来文人、芸術家に愛されてきたカフェ・フローリアンでくつろぐ。一方の組はアカデミア美術館のカルパッチョ絵画等を見学する。


オペラ≪タイース≫ラ・フェニーチェ劇場



2003年末に再建された。
焼失前と同様に眩いまでの格調ある美しさで眼福である。
DVD映像で知っているピッツィ演出の舞台だが、既知の舞台よりアレクサンドリアの街の豪邸のイメージや、タイースの部屋を仕切る鮮明な赤の布は、垢ぬけし進化した感があった。タイースを歌うタコーヴァは“第1回オペラツアー”のサン・カルロ歌劇場≪ファウスト≫でマルゲリータを歌った。今回も良くこなしていたが、欲を言えば声の伸び、透明感と円やかさに欠ける。アタナエルは全幕歌い通しの役である。
バスティアニーニの澄んだ美声で、神の正義に捉われタイースを修道女にさせようという熱血修道士の溢れ出る情熱の歌唱、一転して恋に落ち人間味が表出した時のアタナエルのムード、苦脳に身悶えする迫力、これらは誰も近付けない域であるので無論求めないが、しかしアルベリギーニは安定した歌唱であった。


10月26日(金)ミュンヘンへ

バイエルン州立歌劇場前から徒歩でマリエン広場、フラウエン教会、目が釘つけになる生鮮食品やチーズなどの市場ヴィクトアリエンマルクトを通り、ドイツ料理の昼食。

イタリアとガラリと空気、都市の佇まいが変わる。中心街の市庁舎などガイド説明を受ける。専用バスで名所や国立古代美術博物館などの主要建築物のガイド説明を聴きながら車窓見学する。落ち着いた裕福な美しい街並から先進国ぶりが見て取れる。実話の映画化「白バラの祈り」で、ナチス台頭時に反ナチ活動の学生に死刑宣告した裁判所も車窓から見られた。映画で子供二人を死刑で奪われる両親の表情が忘れられなかった。思わぬ収穫だった。


10月27日(土)ミュンヘンとザルツブルク

オペラ鑑賞までの時間を7名でザルツブルクへ向かった。電車で2時間。ガイドと共にまず新市街マカルト広場にあるモーツァルトが若い頃住んでいた家の中を見学。次いでミラベル庭園散策。庭園もこの町も映画「サウンド・オブ・ミュージック」の舞台として有名だが、映画より大司教と教会権力の強い時代の面影とモーツァルトの街だと実感する。

ゲトライデ通りザルツァッハ川を渡り旧市街へ。モーツァルト生家内を見学する。この家は街で一番賑やかなゲトライデ通りに面している。歴史ある街並みと調和した可愛い店が並ぶ。ザンクト・ペーター教会から大聖堂あたりを見学しモーツァルト広場を通り、祝祭劇場へ進む。



大ホール、小ホール、フェルゼンライトシューレ等音楽祭劇場この街のもうひとつのイメージはザルツブルク音楽祭であり、私達には音楽祭のバスティアニーニを思う。
音楽祭の3つの劇場が並んでいる。バスティアニーニが由緒あるこの音楽祭のフェルゼンライトシューレ、大祝祭劇場でロドリーゴやルーナ伯爵を歌っていたキャリアを思いながら、これらの建物群を感慨深く眺める。


ザルツァッハ川とホーエンザルツブルク城バスティアニーニの舞台写真を思い浮かべ、またこの街でザッカリアと談笑して写っていた地点などを歩く。コレッリ、ザッカリア、プライス、カラヤンの芸術家達の白熱した演奏の音楽が立ち上がってくる。
この街はどこからでも小高い山上に立つ中世のホーエンザルツブルク城を望むことができる。歴史、格調、芸術と文化が見事に存在し、すがすがしいまでの景色に何度も和まされる。

もうひと組の自由行動はミュンヘン市内のカンディンスキー絵画が多く収集されている現代美術のレーンバッハ市立美術館とルネッサンス絵画のアルテ・ピナコテーク美術館巡りだった。こちらもミュンヘンならではの有意義な自由行動だった。

(写真は上からゲトライデ通り、中は大ホール、小ホール、フェルゼンライトシューレ等音楽祭劇場、下ザルツァッハ川とホーエンザルツブルク城)


オペラ≪ロベルト・デヴリュー≫



バイエルン州立歌劇場。
19世紀前半に建てられた煌びやかで優雅な劇場。
グルベローヴァのドニゼッティオペラに注目し期待して臨む。同劇場、同役、同演出で歌ったDVDより彼女の歌声は素晴らしかった。
人気歌手の充実した歌唱の舞台だと、劇場内はこんなに聴衆の熱気で高揚するものかと熱く感じた。だが残念なのはエリザベス1世の王政下、仕組まれた陰謀や反逆の罪で簡単に死刑宣告される時代に、大会社のやり手女社長の様なビジネススーツにしなければならない理由がどこにあるのだろうか、という不満は解消されない。
フィクションの中にリアリティーが見えてこそ、人の心を掴むのではないだろうか。
またデヴリュー処刑時舞台で何故下着1枚になるまで衣類をはぎ取らせるのか。役の上で凌辱を与えることを意味しているのだろうが、その演出がここまで必要であるかこれも不明である。私は、大舞台で歌うテノール歌手が、役の上であっても人間としてプライドがあるだろう、この恥辱に抵抗感がないのかと心配した。


10月28日(日)ウィーンへ

ミュンヘンから列車でウィーン西駅に。到着後専用バスでシェーンブルン宮殿へ。宮殿内の主だった部屋をガイドの説明を聴きながらハプスブルク家の栄光を目にする。再び専用バスで市庁舎、ブルク劇場前で下車し、またバスで市内車窓観光しホテルへ入る。


オペラ≪スペードの女王≫



ウィーン・シュターツオーパー。ホテルから徒歩2分のオペラ座へ。
小澤征爾指揮・新演出の初日。1幕は小説からのイメージを取り入れた病院内のセットで現代演出か、と一瞬不安になったが、グロテスクでもなく全幕の背景もよく練られた舞台であった。
2幕牧歌劇が舞台右サイド階段上で行われたアイデアにも、不思議と違和感なく楽しめた。
アニア・シーリアの伯爵夫人は健闘していた上、舞踏会でエカテリーナ女王として、客席後方右サイドから入場した姿はさすがの貫録であった。
リーザのマルティナ・セラフィンはフォルクスオーパーの人気歌手ハラルド・セラフィンの娘だという。ニール・シコフも期待以上に熱演であった。小澤征爾はこの作品を数多く振っていたので安定感があった。バスティアニーニのエレツキー公爵は1952年12月のフィレンツェ公演ライヴ録音が残されている。
バリトン転向後わずか1年弱でここまでのバリトンの美声と歌唱力があったのかと驚く。気品に満ちた役をりりしく颯爽とした歌唱で聴ける。この日のエレツキー役のマルクス・アイフェも上品さがあり、しっかりした歌唱力だった。

もうひとつの劇場フォルクスオーパーの演目≪低地≫も充実していたときく。


10月29日(月)終日ウィーン

最後の日。
王宮庭園散策、シュテファン寺院、モーツァルトが≪フィガロの結婚≫を作曲していた当時の家“フィガロハウス”の中を見学。ホテルザッハーで喫茶された方もいた。
ホテルで休息し最後の日の最後のオペラ鑑賞に臨む。
もう一組の観光は、ウィーン9区にある2004年3月末に再公開された“リヒテンシュタイン美術館”に。ハプスブルク家に仕えた大貴族でリヒテンシュタイン公国となった当主達所蔵の大コレクションで、大貴族所蔵のコレクションの途方もない質と量を知ることも、ヨーロッパの歴史背景を持つオペラに親しみ愛する私達にとって重要な側面であると言える。


オペラ≪ばらの騎士≫シュターツオーパー



この演目は真にこの劇場の威信がかかっているかの如く、オーケストラから全ての関係者、出演者に意気が感じられる。
心配される現代演出でなく、オットー・シェンクの演出を踏襲していて気持が良い。ウィーンの貴族没落の兆しと市民が台頭してきた背景を舞台にも表出させ、背景のウィーンが感じられた。オクタヴィアンを演ずるエリナ・ガランチャの“ばらの騎士”は魅了される。
忘れられない程だ。スラリとした長身でうっとりと見惚れた。更に声も歌唱力も文句なく、3重唱は正に陶酔であった。ソイエ・イソコフスキーの元帥夫人は声の色艶に若さが欠けていたのが残念だったが、マリン・ハルテリウスのゾフィーは楚々とした趣があり、声の響きもよかった。御馴染のクルト・リドルのオックス男爵は十分品性の悪さを出していて楽しめた。


10月30日(火)

帰路の前に参加者はシエナ、フォルリ、シルミオーネでは貴重な体験をさせてもらったと興奮気味に話された。また良い座席でのオペラ鑑賞と充実の演目、観光から得られた知識、豪華だったホテルと訪れた土地の料理を賞味できた、などの喜びと感謝の言葉を頂いた。ウィーン空港からフランクフルト到着後関西、成田へと別れる。


10月31日(水)

全員、病気や怪我、盗難や事故もなく元気に帰国できた。

最後に
オペラチケットに関しては、基本的に鑑賞希望者の申し込み順にチケット取得をしました。出発数か月前から希望者に該当のDVD,CDを事前勉強用に配布して予習していただきました。

参加者が支払う全てのチケット代金は、公演劇場ネットサイト申し込み取得と、そのネットで購入できなかった場合にチケット業者に依頼しましたが、いずれのチケット代金も売価請求書代金と1円の誤差もなく参加者に案内しています。また各人が支払った代金とその座席を表にして配布し一目瞭然としました。パルマの≪ラ・トラヴィアタ≫の座席以外、全てプラテア(日本の1階S席)の良い席を入手でき、特にウィーン3演目は前から2列目中央、3列目右より、6列目右より、7列目中央付近でした。

3回の没後周年開催やタルガ設置、「バスティアニーニのオペラツアー」を重ねることで、バスティアニーニの芸術に敬意を表し研究する熱意が、イタリアのゆかりの方々や彼の芸術を愛し尊敬する団体にも伝わり、親近感と共に私達研究会への信頼が生まれていることを実感しました。

またオペラファンにとって、オペラへの情熱をイタリアやミュンヘン、ウィーンで満悦できる醍醐味は国内での鑑賞とは異空間の喜びであり、観光からの歴史や芸術の知識は、オペラとその背景に理解が深まり知的好奇心が満たされると確信しています。

旅とは見聞したことの吸収であり、吸収は喜びです。それらは蓄積され新たな見聞知識に生かす土台となります。芸術に触れ感動した記憶は蓄積され、新たな感動が加わる度に芸術と感動の記憶が蘇り、それらが複合されて充足感を齎し、深い心の支えになります。

旅の感動は芸術の力と生きがいに似ています。私自身ご参加の方に、少しでもなにかの知識や感動を伝えられたなら良い旅行であったと思っています。

(丸山 幸子・Sachiko MARUYAMA)

オペラ公演演目と出演者

10月21日 ラ・トラヴィアータ (パルマ、テアトロ レッジオ)


指揮
ドナート レンツェッティ(ユーリ・テミルカーノフ)
演出
カール=エルンスト・ヘルマン&ウーセル・ヘルマン
出演者

ヴィオレッタ : スヴェトラ・ヴァシレヴァ(イリーナ・ルング)
アルフレード : マッシモ・ジョルダーノ
ジェルモン : ウラディミール・ストヤノフ

10月25日 タイース (ヴェネツィア、フェニーチェ劇場)


指揮
Emmanuel Villaume
演出
ピエール・ルイジ・ピッツィ
出演者

タイース : ダリナ・タコヴァ 
アタナエル : シモーネ・アルベルギーニ 
ニシアス : コスティアンティン・アンドレイエフ

10月27日 ロベルト・デヴリュー (ミュンヘン、バイエルン州(国)立歌劇場)


指揮
フリードリヒ・ハイダー
演出
クリストフ・ロイ
出演者

エリザベス女王 : エディタ・グルベローヴァ 
ロベルト・デヴェリュー : ロベルト・サッカ   
ノッティンガム公爵 : パオロ・ガヴァネッリ 
サラ :  ジャンヌ・ピランド

10月28日 スペードの女王 (ウィーン、ウィーン国立歌劇場)


指揮
小澤征爾
演出
ヴェラ・ネミロヴァ
出演者

ゲルマン : ニール・シコフ
トムスキー : アルベルト・ドーメン
リーザ : マルティナ・セラフィン
伯爵夫人 : アニヤ・シリア
エレツキー公爵 : マルクス・アイヒェ
(ボーズ・ダニエル発病のため代役)

10月28日 低地 (ウィーン、フォルクスオパー)


指揮
セバスティアン・ヴァイグレ
演出
アンセルム・ウエーバー
出演者

セヴァスティアーノ : ヴォルフガング・コッホ 
トマソ  : ソリン・コリバン 
モルッツィオ  : マティアス・ハウスマン 
マルタ  : ハイディ・ブルンナー

10月29日 ばらの騎士 (ウィーン、ウィーン国立歌劇場)


指揮
ペーター・シュナイダー
演出
オットー・シェンク
出演者

元帥夫人 : ソイエ・イソコフスキー  
オックス男爵 : クルト・リドル 
オクタヴィアン : エリナ・ガランチャ 
ゾフィー : マリン・ハルテリウス 
歌手 : Ho-yoon Chung   
ファーニナル :  ペーター・ウェーバ

今回のツアーオペラ鑑賞でバスティアニーニが演じていた3オペラ

ラ・トラヴィアタタイーススペードの女王

1952-1964まで60、61、62年を除き毎年劇場で歌っている。

62年はスタジオ録音がある。他にライヴ盤4種類と一部映像のDVDあり。舞台でこの役を55回歌った。

これほど広く親しまれ公演数の多い作品でありながら、いまなお歴史的名唱と言われ続けている55年、56年のカラスとのスカラ座公演を凌ぐジェルモンを歌うバリトンはいない。
溢れる美声と完璧な歌唱力にヴェルディが描く父の役割を表現しきっている。
ドラマのように展開するジェルモンの音楽に乗った歌唱は父親の立場に立った苦悩であるが、声の表現、強弱とメリハリある切れが冴える。更に時に流麗に且つ力強く鳴り響く歌声は圧巻である。

1954と1959出演。

アタナエルを7回歌った。

54年31歳のライヴ録音は、みずみずしい美声が溢れ、その響きも同様に美しい。

55年の「ラ・トラヴィアタ」の声と変わらず透明感のある美声で残っている。
聞く者はただ陶酔するのみ。宗教でいう正義に取りつかれた聖職者が、恋に落ちてしまった修道僧の心の変化を、身悶えるするように歌う。
砂漠のシーンでその人間像が噴出する。
タイースに水を勧める2重唱、タイースとの別れの際に、彼女の純粋な瞳に心捕われ、瞬時に恋に落ち、別れを悔やむシーンは誰がここまで表現できようかと実感する。

ヴェルディとは違う人間味溢れた大きな魅力に浸ることができる。

1952・12月から53年1月2日まで3回。ライヴ盤あり。

52年1月にバリトンへ転向デビューし、その年の12月に大劇場フィレンツェ・テアトロ・コムナーレに登場した。以後瞬く間に主要歌劇場で活躍することになるその大きな機会であったのが、このオペラ出演だった。

エレツキー公爵像の条件である気品ある若きエリート、誠実で真の意味での騎士的な人格と教養などを完璧に体現した声と歌唱である。
映像がない時代で、「ラ・トラヴィアタ」「タイース」と共にそれが残念で堪らない。

既にここまでバリトンの美声と歌唱が出来上がっていたことに驚く。多くはないが1幕から意外に出番がある。
終始気品に満ち、若々しく役通りのエレツキーを颯爽と歌い演じている。