ライブ録音とスタジオ録音



バスティアニーニは生きて苦悩し愛を求めるバリトン役に、ヴェルディのように人権を与えて歌った
Ascoltiamo la sua voce per vederla.
(無断転載禁止)
バリトン主役

『ナブッコ』Nabuccoナブッコライヴ盤3種類/1959・7・8ボボリ庭園(フィレンツェ)マルゲリータ・ロベルティ、パオロ・ワシントン、ブルーノ・バルトレッティ指揮/1961・8・26テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)ミレッラ・パルット、アンナマリア・ロータ、ブルーノ・バルトレッティ指揮/1961・10・23サンフランシスコ・オペラ、ルシル・ウドヴィック、ジョルジョ・トッツィ、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮と一部のみのライヴ盤/1961・2マッシモ劇場(パレルモ)ミレッラ・パルット、ミルト・ピッキ、イーヴォ・ヴィンコ、ヴィットリオ・グイ指揮

威厳あるナブッコ王の栄光と父である情愛が出ている。フェネーナへの憐憫の情を表わす僅かなレシタティーヴォにも胸が打たれる巧さである。アビガイッレとの2重唱は人間味に溢れ、且つ歌唱の巧さが際立つ。合唱が多いがバスティアニーニの音色が良いため、どの場面でも聞き取れる。息が長く張りがあって高音がよく伸びて出されている。

『リゴレット』Rigoletto、リゴレットスタジオ録音盤/1960・7レナータ・スコット、アルフレード・クラウス、フィオレンツァ・コッソット、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮/ライヴ盤1962・11・17リリック・オペラ(シカゴ)ジャンナ・ダンジェロ、リチャード・タッカー、ピエール・デルヴォ指揮

全曲文句無しのバリトン主役。最初から殆ど出ずっぱりでヴェルディがバリトン向きの作曲家であったことが良くわかる。蝶々夫人の蝶々さんが出ずっぱりと同じ。バスティアニーニは豊かな声でそして迫力ある高音でたっぷりと歌う。ジルダとの2幕2重唱はリズムに乗った朗々とした声が鳴り響く。<悪魔め、鬼め>は道化を装いながらジルダを探すシーンから父の立場と宮廷の廷臣の中での自分の位置を表わし緊張感が漲っている。バスティアニーニの力強く暗い声がメリハリを持って歌われる。このアリアのあと歌われるジルダとの2重唱は早いテンポ、高音、朗々とした美声が押し寄せ、これぞオペラの楽しみと感じる胸がすくような心地よさである。シカゴのライヴはスタジオよりもっと熱い舞台で、バスティアニーニの魂が旋律を引っ張っているような、彼の鬱憤(涙・ストレス)を晴らすかのような、振り絞った力を目一杯、歌唱に投じているような舞台に思える。長い息、高い声、強い声、激しいリゴレットである。


テノール主役と同等

『エルナーニ』Ernani、国王ドン・カルロライヴ盤2種類/1957・6・14テオトロ・コムナーレ(フィレンツェ)マリオ・デル・モナコ、アニタ・チェルクェッティ、ボリス・クリストフ、ディミトリ・ミトロプーロス指揮/1960・11・27サン・カルロ歌劇場マリオ・デル・モナコ、マルゲリータ・ロベルティ、ボリス・クリストフ、フェルナンド・プレヴィターリ指揮

声が板に付いている。バスティアニーニほどこのカルロス王を素晴らしく歌える人はいるだろうか。エルヴィーラと接する時の甘い媚薬のような効果を出す音色の声の響きに、柔らかさとレガートが加わる。国王としての威厳、恋敵に対する男性的な性格を表わす声、これらがヴェルディ音楽に発揮され緩急、強弱、硬軟の歌唱が彼の美声で歌い上げられる。カルロス大帝の墓の前で歌う<おお、若き日の夢と偽りの幻よ>は王そのものである。スケールの大きいレシタティーヴォはあくまでも上品でレガートである。彼の流麗な美声で淡々と品格を持ってレガートで歌い出される。王の座につくことになるかどうか不安を見せながら徐々に熱を帯び、晴れやかな旋律(ah,e vincitor de’secoli il nome mio faro`)に乗って盛り上がる。Ahに繋がるフレーズはあまりにも見事で、この部分だけでも他の歌手では不満が残る。アンサンブル個所が多い作品だがバスティアニーニの声は余りにも美しい。

『レニャーノの戦い』La battaglia di Legnanoロランドライヴ盤のみ/1961・12・7スカラ座フランコ・コレッリ、アントニエッタ・ステッラ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮

ロランドは盟友アッリーゴと妻リーダが心の中で結ばれていることを重要な戦の出陣目前で知る。ロランドは妻を糾弾するがアッリーゴの負傷に心を痛め彼の死によって二人の中を信じる。主役と同じ位置で歌っても良い。バスティアニーニは愛する妻、親友、部下に接する時の声の音色と歌い方を変えている。妻のアッリーゴへの手紙を読み、崩れるような声で失望を表わし、アリーゴとリーダを密会したと思い激しい感情の噴出を歌う。アッリーゴを剣で刺さずに戦線に参加させない方を取る見せ場は迫力がある。要所要所で強い生身の男性を感じさせ、ヴェルディが描くバリトン像をよく体現している。

『イル・トロヴァトーレ』Il trovatore、ルーナ伯爵スタジオ録音盤/1962、アントニエッタ・ステッラ、カルロ・ベルゴンツィ、フィオレンツァ・コッソット、トゥリオ・セラフィン指揮/RAIミラノ放送スタジオ盤1957・5・29マリオ・デル・モナコ、レイラ・ジョンチェル、フェードラ・バルビエーリ、フェルナンド・プレヴィターリ指揮DVDあり、ライヴ盤6種類/1957・11・16テアトロ・ヴェルディ(トリエステ)レイラ・ジェンチェル、ドーラ・ミナルキ、ヴィンチェンツィオ・ベッレッツア指揮/1960・2・27メトロポリタン歌劇場アントニエッタ・ステッラ、カルロ・ベルゴンツィ、ジュリエッタ・シミオナート、ファウスト・クレヴァ指揮/1961・10・1ヴェステンス劇場(ベルリン)ミレッラ・パルット、フランコ・コレッリ、フェードラ・バルビエーリ、オリヴェィエーロ・ファヴリティース指揮/1962・7・31新祝祭大劇場(ザルツブルク音楽祭)フランコ・コレッリ、レオンタイン・プライス、ジュリエッタ・シミオナオト、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/1962・12・7スカラ座アントニエッタ・ステッラ、フランコ・コレッリ、フィオレンツァ・コッソット、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮/1963・10・16東京アントニエッタ・ステッラ、ガストーネ・リマリッリ、ジュリエッタ・シミオナート、オリヴィエーロ・デ・ファブリティース指揮、一部ヴィデオ映像あり

バスティアニーニのルーナ伯爵のように歌える人は居ないことは断言できる。彼のライヴ盤が多くあってそれらの彼自身の多くの盤で、最も秀れた盤が競えるくらい。ヴェルディの輝かしくも激しいリズムとテンポに乗って、バスティアニーニの声が自在に人物に成りきった声と歌唱が舞う。先のヴェルディの歌唱でも書いたようにテノールと同様に恋に身を焼き、レオローラに愛を捧げる。4幕のレオノーラとの2重唱はヴェルディの跳ね踊る音楽に歯切れ良く高揚感を齎す歌唱で圧巻である。歌唱の巧さばかり書いたが、勿論渋いそして哀愁を帯びた魅力ある声がどの盤でも聞かれる。1963年の来日盤でも同様である。

『仮面舞踏会』Un ballo in maschera、レナートスタジオ録音盤/1960アントニエッタ・ステッラ、ジャンニ・ポッジ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮、ライヴ盤6種類/1956・4スカラ座、アントニエッタ・ステッラ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮/1957・1・6テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)アニタ・チェルクェッティ、ジャンニ・ポッジ、エミディオ・ティエーリ指揮/1957・12・7スカラ座マリア・カラス、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮/1959・12・26ローマ歌劇場アントニエッタ・ステッラ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、ガブリエーレ・サンティーニ指揮/1961・10・20サンフランシスコ・オペラ、グラツィエーラ・シュッティ、グレ・ブラウエンステイン、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮/1962・2コヴェント・ガーデン、レジーナ・レズニク、ジョン・ヴィカーズ、エドワーズ・ダウンズ指揮

レナートに当てられた音楽にはヴェルディのレナート像への思いが篭っていて、ヴェルディの魂が宿っているようにさえ思う。友情、主君を思う正義と騎士的な自覚、テノールに対峙させる声部のバリトンだけに留まらないレナート像にヴェルディが心血を注いでいるのが読み取れる。小気味良いリズムや、相手役により絶妙に雰囲気を変えて歌えるバスティアニーニがここでも遺憾なく発揮される。信頼し忠誠を尽くし、命を賭して仕えた主君であり盟友の裏切りに怒り、失望するレナートをバスティアニーニはこれぞレナート像と思わせるほどに作り上げた。更に妻アメーリアが主君と居るとも知れず、主君を守る為に声をかける件は、女性と逢引を承知している上での呼びかけだから、そのレシタティーヴォの色っぽいことったらない。僅かな言葉でも光る個所が見られる。「おまえこそ心を汚すもの」もテノールがこの曲を歌っても違和感がないほどテノールのようなアリアである。優雅でりりしいバリトン像をバスティアニーニは体現している。

『ドン・カルロ』Don Carlo、ポーザ公爵ロドリーゴスタジオ録音盤/1961、アントニエッタ・ステッラ、フラヴィアーノ・ラボー、ボリス・クリストフ、ガブリエーレ・サンティーニ指揮、ライヴ盤6種類/1955・3・5メトロポリタン歌劇場、エリナー・スティーバー、リチャード・タッカー、ジェローム・ハインズ、クルト・アドラー指揮/1956・6・16、テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)、アニタ・チェルクェッティ、チェーザレ・シェピ、アントニオ・ヴォット指揮/1958・7・26ザルツブルク、セーナ・ユリナッチ、エウジェーニオ・フェルナンディ、チェーザレ・シェピ、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/1960・8・1新祝祭歌劇場(ザルツブルク)、セーナ・ユリナッチ、エウジェーニオ・フェルナンディ、ボリス・クリストフ、ネッロ・サンティ指揮/1961・4・24RAIトリノ放送用、マルゲリータ・ロベルティ、ルイージ・オットリーニ、ボリス・クリストフ、マリオ・ロッシ指揮/1965・12・11メトロポリタン歌劇場(バスティアニーニ最後の舞台)マルティナ・アロヨ、ブルーノ・プレヴェディ、ジェローム・ハインズ、トマス・シッパーズ指揮

オペラ全作品の中でもとりわけ高潔な人格を持つ役柄といわれる。作品では重要なシーンで歌う見せ場はテノールと同じ位の多さで、この作品ではロドリーゴが物語の鍵を握っている。だが、全体の中で見ると主役のドン・カルロ王子とエリザベッタを中心に物語が成り立っている。バスティアニーニ以外でロドリーゴを作品のイメージから立ちあがらせ、真にロドリーゴに命を与え人格を与えた理想の声・歌唱・表現・姿・立ち居振る舞いで再現できた人がいただろうか。エレガントの美、高邁な理想に燃え自己を犠牲にし、権力に向かう勇気、女性にも対応できる洗練さと優雅さも持ち合わせる。これらのキャラクターを端正に歌い、時に悲惨な宗教戦争への怒りを王に迫るシーンは感動的である。強くて深い声、友情を歌う暖かくて頼り甲斐のある声、死を前にした高貴な歌唱などは他の歌手の追随を許さない。単にバリトン歌手の歌唱を超越したまさに不世出の芸術を体現した人であったことがわかる。

オテッロ』Otello、イアーゴスタジオ録音盤ライヴ盤ともに録音されていない。「イアーーゴの信条」は1957年RAI録音と1962年RAI録音に残されている。後ろに続いて記載したRAI録音の項を参照されたい。

共に声がたっぷりと湧く様な声量でレガートに美声で歌われている。旋律に乗りきった歌唱は絶品で、1957年も良いが1962年のほうがより大きいスケールで歌われ、そして迫力があって怖いほどである。


『椿姫』La traviata、ジェルモンスタジオ録音盤/1960レナータ・スコット、ジャンニ・ライモンディ、アントニオ・ヴォット指揮、ライヴ盤4種類/1955・1・1メトロポリタン歌劇場、リチア・アルバネーゼ、ジャチント・プランデッリ、アルベルト・エレーデ指揮/1955・5・28スカラ座、マリア・カラス、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮/1956・1・19スカラ座、マリア・カラス、ジャンニ・ライモンディ、カルロ・マリア・ジュリーニ指揮/1964・10・27ウィーン国立歌劇場、アンナ・モッフォ、ジュゼッペ・ザンピエーリ、ベリスラフ・クロブチャル指揮

端正な歌唱の中にまるで演劇のジェルモンのように鮮明に存在感を表現する。特に2重唱は余計な抑揚や大袈裟な表現を回避しているにもかかわらず、緊迫感に溢れた迫力が押し寄せる。ヴェルディの旋律が津波のように二人の心情に乗って聞くものを陶酔させ、飲みこむ。美声がとうとうと旋律に降り注ぐ。そして力強い。バスティアニーニのジェルモンを知ってしまうと、他のバリトンの妙に小さな声や抑揚が安っぽく、品性に欠けるように思えてくる。

『運命の力』La forza del destino、ドン・カルロ・ディ・ヴォルガススタジオ録音盤/1955、マリオ・デル・モナコ、レナータ・テバルディ、ジュリエッタ・シミオナート、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮、ライヴ盤3種類/1958・3・15サン・カルロ歌劇場、DVDあり、フランコ・コレッリ、レナータ・テバルディ、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮/1960・9・23ウィーン国立歌劇場、アントニエッタ・ステッラ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、ディミトリ・ミトロプーロス指揮/1965・1・29メトロポリタン歌劇場、フランコ・コレッリ、ガブリエーラ・トゥッチ、ネッロ・サンティ指揮

名家の自負、勇敢に闘う上部仕官ドン・カルロを颯爽と演じる。気品と若さを感じさせる。作品で中核となる重要な配置のバリトンである。<私はペレーダ>や<この中に私の運命がある>など聞かせ所を安定した美声で聞かせる。アルヴァーロとの<アルヴァーロよ、隠れても無駄だ>で、ヴェルディの2重唱の巧さがここでも発揮されている。バスティアニーニがコレッリ、デル・モナコ、ディ・ステファノと相手を変えても、全て気品と花のある若き騎士像が現われ、わくわくさせてくれる。1965年1月29日のコレッリとのライヴ盤はバスティアニーニの声量と声の張りが失われていることが、よくわかる。しかし旋律に感情を迸らせている表現に鬼気迫るものがあり、胸を打たれる。ボアーニョの本でも書かれてあったが、バスティアニーニのこの時の声より、もっと声を失ってしまっている歌手がもっと長く歌っていることを知っているとジュゼッペ・タッディのコメントがあった。バスティアニーニの1964、1965年の歌唱は実際、そう感じる。

『アイーダ』Aida、アモナズロスタジオ録音盤/1954年、ウンベルト・ボルソ、オラリア・ドミンゲス、フランコ・カプアーナ指揮、ライヴ盤2種類/1963・6・3ウィーン国立歌劇場、レオンタイン・プライス、ジュリエッタ・シミオナート、ディミトリー・ウズノフ、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮/1964・6年ウィーン国立歌劇場、レオンタイン・プライス、ジュリエッタ・シミオナート、フラヴィアーノ・ラボー、ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮

情の篭った父親アモナズロであり、王として捲土重来を期して兵を挙げエジプトを負かせねばならない。ヴェルディにしてはぎりぎりの台本の中でしかバリトンを活かせなかったのだろうが、バスティアニーニは壮大なオペラのバリトンの位置で良く歌っている。テノール、ソプラノ、メッゾソプラノの聞かせ所も多くイタリアオペラの金字塔的作品で上演回数が多く、それに伴ってアモナズロを歌う回数も多かったのではないかと思う。スタジオ録音はバスティアニーニ最初の正規レコード録音。声はあくまで美しくたっぷりと弦楽器のふくよかな柔らかさと艶のような美しさで、聞き惚れる。


音源が残っているバスティアニーニが歌ったヴェルディ以外のオペラ

(無断転載禁止)

ドニゼッティのオペラ

『ラ・ファヴォリータ』La favoritaアルフォンソ11世スタジオ録音盤のみ/1955・11ジュリエッタ・シミオナート、ジャンニ・ポッジ、アルベルト・エレーデ指揮

『アイーダ』スタジオ録音の翌年録音盤、バリトンデヴュー3年でもう、ベルカント歌唱の様式感溢れる名唱を聴かせる。アルフォンソ11世を誰がこのようなレガートでベルベットのような柔らかい美しい声で歌えようか。高貴で端正な歌唱がドニゼッティのオペラに融和されている。バスティアニーニの呼吸、声の表現は、なんの無理や力みも感じさせない。まさに名人の域で軽く表現できているように見える。せめてスカラ座のライヴ盤でも残っていればと思うが惜しいことにない。

『ランメルムーアのルチーア』Lucia di Lammermoor、エンリーコスタジオ録音盤のみ1959レナータ・スコット、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、ニーノ・サンツォーニョ指揮

バスティアニーニのエンリーコはアルフォンソ11世の歌唱に王の品格よりも貴族の安泰を願う役所を体現している。妹をなだめすかして結婚をさせようとする領主の人間像が、レガートな歌唱の中にメリハリをつけた音楽で作る。常にドニゼッティのオペラのイメージを表現している。ルチーアとの2重唱はヴェルディと違ったドニゼッティ旋律のバリトンの聞かせ所で、胸の透く美しい歌唱である。6重唱はジュゼッペ・ディ・ステファノ達とのアンサンブルのハーモニーの美しさが楽しめる。バスティアニーニがドニゼッティのオペラにしっくり馴染んでいる。マリア・カラスとのライヴ盤がないことが惜しい。

『ポリウート』Poliuto、セヴェッロライヴ盤のみ/1960・12・7マリア・カラス、フランコ・コレッリ、アントニオ・ヴォット指揮

イタリアオペラ黄金期ドリームキャストである。バスティアニーニとコレッリ、カラス、ディ・ステファノ、テバルディ、デル・モナコ達が入れ替わってコンビを組んだ夢の時代であった。バスティアニーニは勇壮な将軍の風格で、その舞台姿の美丈夫ぶりは舞台写真にあるが、まさに歌唱もそのとおり。セヴェッロの凱旋シーンでのバスティアニーニの朗々とした力強い声が轟く。カラスとの2重唱は元の夫の苦悩が表出し、声と感情と音楽が渦をまきながら迫力を作っていく。


ロッシーニのオペラ

『セヴィリアの理髪師』Il barbiere di Siviglia、フィガロスタジオ録音盤/1956、ジュリエッタ・シミオナート、アルヴィニオ・ミシャーノ、アルベルト・エレーデ指揮、一部ライヴ盤あり/1956・8・18アレーナ・フレグリア(ナポリ)

若々しく溌剌とした生命力に漲っているフィガロがいる。口跡さわやかで、どこまでも明るいバスティアニーニの笑顔と動きまわる姿が目に浮かぶようである。自信に溢れた柔らかい光沢のある美声が、時に早口でリズムと両車輪のように走る。どのアンサンブルもこのようであり、しかもこの声が勢いの強い清い川の流れのように抑揚を示しながら走る。「私は町の何でも屋」は多くの歌手も歌った。いろんな解説者がバスティアニーニ以外の歌手を素晴らしいと挙げていることを知っている。だが贔屓で言っているのではない。バスティアニーニほど細かい音、言葉まで明瞭にさせて、しかも滑らかに早く、夢を与えるような楽しさで歌えた人がいただろうか。妙なわざとらしさや受けを狙うような歌唱でないので、全体をとおして見ても気品がある。ライヴ盤は客席からの大変な盛り上がりが伝わる。


プッチーニのオペラ

『外套』Il Tabarro、ミケーレハンブルク、放送局収録のみ11953ノーラ・デ・ローザ、サルヴァトーレ・プーマ、マリオ・コルドーネ指揮

バリトン歌手になって僅かで、これほど完璧なミケーレの役を歌ってしまうなんて、驚きと共に畏敬の念さえ感じる。しかし17歳からコンサート経験を積みバス歌手で何十というレパートリーを舞台で歌ってきたバスティアニーニにとっては、キャラクター作りが巧くいけば、あとは豊麗で艶のある声で表現するのみだったことだろう。雇い主ミケーレのけむたさと貫禄まで出ている。妻への嫉妬、苦悩と人を殺すほどの恐ろしさを感じさせた。見事である。

『トスカ』Tosca、スカルピアライヴ盤のみ/1958・6・20ブリュッセル、レナータ・テバルディ、ジュゼッペ・ディ・ステファノ、ジャナンドレア・ガヴァッツエーニ指揮

バスティアニーニはこのオペラを結構歌っている。ダンディなスカルピア像を作り上げた。中年の醜男、血も涙もない警視総監、色欲に迷った強引な嫌な男ではない。地位と権力を得た立場だからこそカヴァラドッシを逮捕する使命があるのだ。18世紀末の世相でフェミニズムもなにもない。有名な歌手と一夜を過ごそうと思って、カヴァラドッシを楯にトスカの気持ちに揺さぶりをかける。自分のダンディさを時々見せつけて、・・・こういうスカルピアを意図したように思える。トスカは醜い男は相手にしなかっただろう。決まりきった悪役イメージよりも格好良いスカルピア登場の方がよほど舞台が面白い。壮麗なテ・デウムではスカルピアの威圧感と存在感の大きさで舞台を制する。トスカとのからみは色っぽさが出ていて演劇のシーンのように声で再現している。カヴァラドッシへの恐ろしい仕打ちとトスカへのうわべの優しさを演じている。

『ラ・ボエーム』La Bohe`me、マルチェッロスタジオ録音盤/1959、レナータ・テバルディ、カルロ・ベルゴンツィ、チェーザレ・シェピ、トゥリオ・セラフィン指揮、ライヴ録音盤2種類あり/1957・3・30メトロポリタン歌劇場、リチャード・タッカー、チェーザレ・シェピ、ティボル・コズマ指揮/1962・10・26サンフランシスコ・オペラ、ヴィクトリア・デ・ロス・アンヘルス、シャンドール・コンヤ、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮、

人気オペラであり多数回歌っている。マルチェッロにアリアがなく物足らないが、若者らしい明るさと屈託のなさが良く表現されている。3幕の雪のシーンでミミの痛々しい話しに感じ入る様子、ロドルフォの話しを聴きながら、その内容に応じて変化する歌唱表現の巧さが光る。バスティアニーニは僅かな台詞にも意味を持たせ、聴くものの心に染入らせてしまう。恋のような心の疼く痛みは取れない。彼のその台詞の声が何十年経とうと、聴いた者の脳裏で再現できる。

バスティアニーニは幸いにもヴェルディと同様に、舞台で歌ったプッチーニ作品全てが音源に残っている。ヴェルディ、ドニゼッティと違った力強さ、人間味や生活する人を歌い出す


ジョルダーノのオペラ

『アンドレア・ショニエ』Andrea Che’nier、ジェラールスタジオ録音盤/1957、マリオ・デル・モナコ、レナータ・テバルディ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮、5種類のライヴ盤/1958・11・29サン・カルロ歌劇場、フランコ・コレッリ、アントニエッタ・ステッラ、フランコ・カプアーナ指揮/1960・1・20スカラ座、フランコ・コレッリ、ジリオーラ・フラッツォーニ、ジャナンドレア・ガヴァッツェーニ指揮/1960・3・・26メトロポリタン歌劇場/リチャード・タッカー、レナータ・テバルディ、ファウスト・クレヴァ指揮/1960・6・26ウィーン国立歌劇場フランコ・コレッリ、レナータ・テバルディ、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮/1963・9・13RAIトリノ放送用、チャールズ・クレイグ、ガブリエーラ・トゥッチ、フランコ・マンニーノ指揮

明確にジェラールという人物を打ち出したと言える。漫然とバリトンパートを歌い舞台で動くだけではない。恋をする青年の若さ、自己の育った環境から民衆側にたち、努力をして人を指導し部下を持つようになった人物を演じる。理想を掲げる姿、バスティアニーニの歌唱から迸る。1幕冒頭の歌もよし、「祖国の敵」のスケールの大きな歌を作り上げ、愛と理想を歌い上げながらそのジェラールの虚無感までを表わす。このアリアではあまりにも感動的にクライマックスに集結させる。その声の伸びとレガートな歌唱に込められる抑揚と旋律と合体する声の奔流は説得性を持つ。マッダレーナへの愛の告白から彼女に迫るシーンは息詰まる迫力である。バスティアニーニのジェラールでなければ、といわれても不思議ではない。


レオンカヴァッロのオペラ

『ラ・ボエーム』La Bohe`me、ロドルフォライヴ盤のみ/1958・2・15サン・カルロ歌劇場、ロゼッタ・ノーリ、ドーロ・アントニオーリ、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮

プッチーニがオペラ化したオペラと同じ原作だが、レオンカヴァッロ自身が台本を書きオペラに仕上げた。レオンカヴァッロはあまのじゃくかもしれない。ロドルフォをバリトンに当てるのは別に異論はないが、ミミが死ぬところでラストにするならもっとロドルフォに歌う場面を書かなければならなかった。それでもバスティアニーニはロドルフォとなって溌剌と美声を轟かせている。ミミと別れるシーンの声が冷たく響き、あとの悲しいシーンに繋ぐ。ロドルフォ役はこの劇場で3回のみを歌っただけだった。

『道化師』Pagliacci、トニオライヴ盤のみ1962・10・13サンフランシスコ・オペラ、マリオ・デル・モナコ、マリリン・ホーン、オリヴィエーロ・デ・ファブリティース指揮

トニオのプロローグはあまりにもスケールが大きく立派な音楽を形作っている。哲学的でさえある。たっぷりと伸びやかな声と歌の巧さがなければここまで芸術的な音楽にはならない。バスティアニーニの声と呼吸の名人芸が感じられる。トニオ演ずる写真からなんという容姿の勿体無さかと思うが、彼はこの役でも全力投球し物にした。


ポンキエッリのオペラ

『ラ・ジョコンダ』La Gioconda、バルナバスタジオ録音盤/1957、アニタ・チェルクエッティ、マリオ・デル・モナコ、チェーザレ・シェピ、ライヴ盤/1956・1・7テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)アニタ・チェルクエッティ、ジャンニ・ポッジ、エベ・スティニャーニ、エミディオ・ティエーリ指揮

二つの盤はともに豪華キャストで充実した演奏である。バルナバという役はバスティアニーニをもってしても、役の人物にバスティアニーニの何を注入すればよいのだろう。例えばスカルピアやジェラールやドン・カルロ(運命の力)のように役に血と魂と彼の容姿を入れて作り上げることができているが、バルナバは難しい登場人物だと筆者は常に思う。像が見えない。それでも言えることは、レガートで柔らかく光沢のある美声で、自由自在に息を操り歌っているのはさすがである。暗い場面が結構多いのに全体のオーケストレーションはキラキラと明るい。良くバスティアニーニの声は溶けこんでいる。


マスカーニのオペラ

『カヴァレリア・ルスティカーナ』Cavalleria Rusticana、アルフィオスタジオ録音のみ/1957ユッシ・ビョルリンク、レナータ・テバルディ、アルベルト・エレーデ指揮

馬を駆って元気溌剌、幸せ一杯のアルフィオの登場はリズムに乗り美しい。美声でとにかくかっこいい。サントゥッツアの告げ口から怒りが炸裂する個所も声が美しい。決闘を挑む暗い低音も美しい。


チレアのオペラ

『アドリアーナ・ルクヴルール』Adriana Lecouvreur、ミショネライヴ盤のみ/1959.1.28サン・カルロ歌劇場、マグダ・オリヴェーロ、フランコ・コレッリ、ジュリエッタ・シミオナート、マリオ・ロッシ指揮

アドリアーナを見守り、彼女の心の揺れに一喜一憂する優しさは、台詞の部分からでも際立っている。ミショネに徹した歌い方で楽しめる。


ビゼーのオペラ

『カルメン』Carmen、エスカミーリョライヴ録音盤のみ/1958・1・25サン・カルロ歌劇場、マリオ・デル・モナコ、フェードラ・バルビエーリ、オリヴィエーロ・デ・ファブリティース指揮/1961・8・2アレーナ・ディ・ヴェローナ、フランコ・コレッリ、ジュリエッタ・シミオナート、フランチェスコ・モリナーリ・プラデッリ指揮

作品での位置同様、文字通りスター登場である。色っぽくて華やかで、颯爽としている。歌の巧さはここでも発揮される。バスティアニーニは言葉が明瞭なのに、滑らかである。舌ッ足らずであったり、やけに厚ぼったいエスカミーリョを歌うバリトンもいるが、柔らかくて且つリズムに乗ったきびきびとした声と歌唱で明るい存在感を示している。彼が演じることで真にドン・ホセとの対象性が浮き彫りにされただろう。バスティアニーニの抜けるような明るいスター闘牛士に当時のオペラ鑑賞者は魅了されていたことがボアーニョの本にも書かれていた。


ベルリオーズのオペラ

『ファウストの劫罰』La dannazione di Faust、メフィストフェレスライヴ録音盤のみ1964・12・26サン・カルロ歌劇場、ジュリエッタ・シミオナート、ルッジェロ・ボンディーノ、ペーター・マーク指揮

1964、1965年のライヴ録音の声からは、あの滑らかな柔らかさと艶、豊麗な声量とうっとり聞き惚れる美声と逞しい高音は殆ど消えてしまう。ここでは声が細くなっている。しかし懸命に新しい役メフィストフェレスを表現しようとしていて大歌手の執念を見る思いである。


グノーのオペラ

『ファウスト』Faust、ヴァレンティーノ一部ライヴ盤のみ1956・12・1サン・カルロ歌劇場、ジャンニ・ポッジ、マルチェッラ・ポッベ、ガブリエーレ・サンティーニ指揮

作曲者に文句は言えないがヴァレンティーノをバリトンに決めたことで出番が少なくなる。しかしバスティアニーニはグノーの旋律美を美声で遺憾なく発揮して見事にヴァレンティーノを再現している。誇り高い騎士道を身につけた華麗な若者で、妹を思う優しい兄像を体現している。この盤は全曲が入っていないがヴァレンティーノの出番シーンを殆ど収めている。


マスネーのオペラ

『タイース』Thais、アタナエルライヴ盤のみ1954・2・10テアトロ・ヴェルディ(トリエステ)、フィオレッラ・カルメン・フォルティ、グラウコ・スカルリーニ、ルイージ・トッフォロ指揮

マスネーに感謝である。タイースのタイトルだが中身はアタナエルが主役であり、最初から最後まで蝶々夫人の如く、出演し通しである。31歳のバスティアニーニでまだバリトンになって2年であるが、立派な歌唱力に驚く。この残された音源の項でも書いたが、バリトンとしてデヴューしても、それ以前からバス歌手として活躍していたことから、歌唱の巧さ、役柄に沿ったイメージの歌唱法を備えていたことがわかる。全体に若いエネルギーをぶつける役どおり、声が響き渡り、情熱ある歌唱で満たしている。タイースと砂漠を歩き休憩をするシーンはバスティアニーニ名場面のベストテン高位の中に入る。マスネーの情緒に溢れる旋律に恋をする修道士の感情が声と歌唱に乗って、たまらない魅力を生み出している。


ヘンデルのオペラ

『ヘラクレス』Eracle、リーカライヴ盤のみ1958・12・29スカラ座、フランコ・コレッリ、エリザベート・シュワルツコップ、ジェローム・ハインズ、ロヴロ・フォン・マタチッチ指揮

豪華キャストで当時のオペラ界の華やぎが伝わる。ヘンデルの音楽はベッリーニ、ドニゼッティ、ヴェルディとは異質であるが、声を楽しむという心構えで聴くと楽しめる。バスティアニーニを含め出演者全て良くヘンデルのオペラの中に存在感を示している。


チャイコフスキーのオペラ

『スペードの女王』La dama di picche、エレッツキー公爵ライヴ盤のみ1952・12・26テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)セーナ・ユリナッチ、リーナ・コルシ、アルトゥール・ロジンスキー指揮

バリトン役では2幕で歌われるエレッツキー公爵のアリアが最も注目される場である。現存するバリトン歌手になってからのバスティアニーニ最初の声である。安定し落ち着いた歌い方であるうえに、エレッツキーの若さ、貴族である自覚された振る舞いと高貴さ、優雅さが歌い上げられている。曲の解釈と組みたて方が歌唱に反映していて見事である。ここまでに完成されてバリトンになったのだと実感する。最後の幕でカードに勝つシーンも台詞は少ないが貴族の自信と余裕まで思わせる存在感がある。バスティアニーニが重要なバリトンの役で重要な劇場で歌うことを考えていた訳が、この歌を聞くと納得できる。

『マゼッパ』Mazepa、マゼッパライヴ盤のみ1954・6・6テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)マグダ・オリヴェーロ、ボリス・クリストフ、ヨネル・ペルレア指揮

録音状態が悪くなければロシアオペラ的な雰囲気がもう少しは出るだろう。歴史的人物マゼッパと若い女性マリーヤとの恋愛をかなり組みこんだ台本のために、音楽は造反劇やマリーヤを巡る人間関係の愛憎劇から悲劇へ至るラストまでの迫力に欠ける。マゼッパは統領としての地位・力とマリーヤへの愛を保つという設定なので結構難しい役所であるが、出演個所が結構多くあって、シーン毎にその役の位置を自覚して表現している。良く歌えていて見事であり、バスティアニーニの声と歌唱能力を感心しながら聴く楽しみがある。テバルディが観客として鑑賞していて、見事であったと述懐している。


プロコフィエフのオペラ

『戦争と平和』Guerra e Pace、アンドレイ公爵ライヴ盤のみ1953・5・26テアトロ・コムナーレ(フィレンツェ)フランコ・コレッリ、ロザンナ・カルテッリ、フェードラ・バルビエーリ、アルトゥール・ロジンスキー指揮

このフィレンツェ公演の1953年当時、ソヴィエト社会主義連邦共和国でも全曲初演はまだだった。この公演がヨーロッパ初演。しかし全曲と言われているがカットがある。カットされて上演されたのか、元はLP盤だったが、カットして制作されたのかどちらかわからないが、一応最初から終幕まで上演されている。バスティアニーニは1幕から最期のベッドから倒れ落ちて死んでいくシーンまでアンドレイに成りきっている。1幕冒頭で歌われるシーンはバスティアニーニの知的で気品のある青年像が旋律に溶けこむように醸し出される。野営地でのナターシャへの思い、失望とニヒリズムを表出させて歌っている。死の場面は熱演である。その他のシーンも柔らかいレガートな美声が終始聞こえてくる。


以上に挙げたオペラ作品はバスティアニーニがバリトン歌手として約14年間に出演したオペラの内、録音されて現在(2005・4)時点で残っている音源である。オペラから抜粋し発売されたオペラシーンとアリア集のLP・CDは、上記に挙げた録音盤と重複するので、これら以外が収められたCDを以下に挙げる。
バスティアニーニの残っているオペラ出演盤全てに各コメントを付けると膨大になる為、ここでは役作りの位置とバスティアニーニの歌唱の観点からコメントすることにした。付随して多少書いた部分もあるが別な機会にデータ毎に、そして他の出演者オペラとの比較のコメントも書き加えることを考えている。
尚バスティアニーニの歌ったレパートリーについて、また歌唱について筆者のコメントは、あくまでエットレ・バスティアニーニ研究会の代表である筆者の視点で評価していることをご了承頂きたい。

丸山 幸子(MARUYAMA Sachiko)